三池工業高校初優勝の記憶と有明高校へ。炭鉱の町からつながる左腕物語
今、熊本県北の有明高校が、県内屈指の左腕二枚看板と、つながりの良い打線を武器に、悲願の甲子園へと挑もうとしています。しなやかなフォームから力強いボールを投げ込む左腕たち、そして我慢強くつなぐ打線。そのチームカラーは、どこか懐かしい空気をまとっています。私はその姿に、61年前、炭鉱の町・大牟田から甲子園の頂点に立った、あの三池工業高校の影を重ねてしまうのです。1965年夏。福岡県南の大牟田市と、その隣町である熊本県北の荒尾市は、炭鉱と工業の煙突が立ち並ぶ,一体の都市圏のような場所でした。その大牟田市にある三池工業高校を率いていたのが、のちに東海大相模でも名将と呼ばれる原貢監督です。巨人の原辰徳さんの父として知る人は多いかもしれませんが、三池工業を夏の甲子園初出場に導き、いきなり初優勝へと押し上げた指揮官でもあります。当時二十八歳の会社員だった私は、福岡大会決勝を球場で見守り、その堅い守りと素晴らしい投手陣に心を奪われました。やがて甲子園決勝が決まると、もう我慢できず、聖地・甲子園へ。三塁側がよく見えるネット裏から、原監督率いる三池工業を必死に応援しました。炭鉱不況の影が忍び寄る中、無名だった工業高校が次々と強豪を撃破し、ついに決勝で銚子商業を2-0で破って初出場初優勝を成し遂げたあの瞬間。スタンドで思わず歓声を上げた感極まる記憶は、61年たった今も色あせることはありません。大牟田と荒尾。県境を挟んだ隣町同士のこの一体都市から、かっては三池工業が全国の頂点に立ちました。そして今、そのすぐそばの熊本県北から、有明高校が新たな歴史を刻もうとしています。両左腕を中心とした素晴らしい投手陣と、当時の三池工業を思わせる粘り強い打線。その姿に、私はどうしても「歴史の不思議な巡り合わせ」を感じてしまいます。あの夏の三池工業のように、まずは一勝から。そこから始まる一歩一歩が、やがて大きな物語になると信じて、有明高校の健闘を心から願っています。
